ラブラドール・ノアロー -- ノアローちゃんの寿命(2)2010年05月27日 15時24分24秒


 ノアローちゃんの最後の数ヶ月について書こうと思っていましたが、悲しくて辛くなるので簡単にします。

 お正月休みが終わってから、1月、2月、3月と、寒くて不順な天候が続きました。

 寒がりの私には、とりわけ寒さが堪えました。

 日本全体、私の生活圏の雰囲気も暗く寂しいものになっていた事が思い出されます。

 ノアローが家にいて、毎日「可愛いね」と言ったり、ふざけたり遊んだりしてノアローを喜ばせ、平凡な日常を暮らすことが心からの幸せでした。

 毎日、殆ど一緒に時間を過ごし、お布団で一緒にネンネして、それでもその時間が一日でも長く続くことを祈り願いました。

 10歳を過ぎたのだから、いつお迎えが来てもおかしくないのだと、折々に自分自身に言い聞かせたものです。

 こんな元気な子がいつか老衰で亡くなるとして・・・、でも、一体どんな風に???

 全く想像も出来ませんでした。

 ノアローが年老いて、ヨボヨボのお爺ちゃんになるという事は想像出来ませんでした。

 今年の春は寒くて風が強かったですね・・・。

 2月も3月も大した事もなかったらしく、手帳にはノアローについては何も書かれていません。

 ただ、3月に耳が外耳炎に掛かり膿が出た、と言うことがありましたが、特に心配はしなかったです。

 4月5日の夜、ノアローの様子がおかしくなって、腰痛か肋間神経痛が起きて動けなくなっている事がわかりました。

 2009年(去年)の6月にも起きていたので、「あ、また来た」と思いました。

 シニアのワンちゃんだから、きっと又起こると思っていましたが、とても冷静には見ていられなかったです。

 去年と同じようにブルブルと震え、痛さに怯えているように見えました。

 二度目だったから、もっとノアローが楽になるように悪化しないようにと努めたのですが、去年のように病院へ行く前には丸くなって眠る・・・という事はありませんでした。

 この腰痛がトリガーとなってしまったのかどうかわかりません。

 腰痛の回復は去年と比べてすっきりしませんでした。

 体重もオヤツを沢山食べているはずなのに33.9kgと自然減していました。

 そして、4月15日頃から咳をし出しました。私は一回ノアローがクシャミをしたのを聞いています。

 そして16日に雪が降り、その翌17日、午後遅く、寝ていた姿勢から立ち上がり、歩き始めたノアローの後ろ足がくの字に曲がって崩れ落ちていく姿を私は目撃しました・・・。

 ノアロー自身も面食らっているような、そんな後ろ姿でしたが、ノアローが縁側のクレートの前でうずくまるまで追いつけませんでした。
 
 腰痛かと思いましたが、ノアローの体は震えてはいませんでした。

 ただ、体温が低かったような・・・、今思えばそういう気がします。

 細かくは書きませんが、腰痛や貧血でそんな事が起こるだろうか?というような異常な状態でした。

 そして、すぐに獣医さんへ連れて行きましたが、なかなか回復しなかったのです。

 その後、オシッコは15時間、ウンチは45時間も出ませんでした・・・。

 これまで体に異常があって獣医さんへ行って抗生剤などの治療を受け、すぐに回復しなかった事はなかったと思います。

 その時は楽観的でしたが、結果から考えてみれば、この日がノアローの最後の日々の始まりだったと思います。

 気管の炎症もいつまでも治らず最後は肺にまで拡がり、その間に消化器は衰え、特に嘔吐が酷かったです。

 変な物を食べて吐くことはこれまでも何度もありましたが、嘔吐前に苦しそうな呼吸をしたり、嘔吐しながら倒れたり、嘔吐後にグッタリしたり・・・。
 
 そういう事は今まで一度もなかった異常な状態で、一番酷い時は朝を迎えられないんじゃないかと思いました。

 獣医さんへ行く度に何とか盛り返すのですが、前と違っていたことは、帰りの車でやや元気になっても、家に入る頃には再び元気がなくなってしまうことでした。

 それでも5月8日くらいまでは、絶好調まで行かなくても元気に見える日も何日かはありました。

 だから、私たちはノアローの回復を疑わなかったのです。

 特に4月中は、咳をしてはいても、吠えたり暴れてはしゃぐ元気がありました。

 でも、驚いたことには、5月8日、あれほど沢山の抗生剤を注射され、服用していたのにもかかわらず、ノアローの左の耳は生涯で一番汚れていたことです。

 耳の出口くらいまで膿がたまっていました。

 私がノアローに最後に耳掃除をしてあげたのが4月28日で、その時はさほど汚れていませんでした。

 それからは、ノアローが咳き込むことが心配だったので、ソファでひっくり返って「お耳たん」をすることは出来なかったし、抗生剤を打っていて、まさか耳が炎症して汚れているとは夢にも思わなかったです。

 前日、ノアローが耳をパタパタやっていたので、それで耳を診て貰っただけなのです・・・。

 その時は夢中で、今ある問題を解決することだけ考えて必死でした。

 4月は16回、5月は11回、ノアローを連れて獣医さんへ行っています。

 一日に二回行った日もあります。

 その内の何回かは、車の中で処置して貰いました。

 GWのお休み中も、日曜日でも診て頂いた日もあります。

 院長先生は、どの時点でノアローの寿命が尽きそうだと感じられたのかな?と時々思います。

 でも、それを最後まで言われなかった。

 だから、私も夫もノアローも最後まで希望を捨てないで頑張れたのかな・・・と思います。

 最後の夜、夫と私に見守られ、家の中を歩いてパトロールして、今まで飲めなかった普段の水飲み場からお水を飲んで、今まで出なかったウンチを普通にちゃんとして、お尻を綺麗に拭き拭きして貰って・・・。

 お尻を拭いて貰う時も、当たり前のような顔で私を見ていたよね、ノアローちゃん。

 「お尻チリチリ、ハイ!良くできました!」って言って欲しかったのかな?

 ウンチの半分は普通の良いウンチだったから、パパはノアローがまた復活するんじゃないかって喜んじゃったんだよ。

 お布団の部屋にも行って、椅子の下にあったオモチャの匂いを確かめて、仏様にもご挨拶して、その上でいつもパパがトイレから出てくるのを待っていたお気に入りの場所で、パパにナデナデされながらゆっくりとおネンネ出来たんだから、それで良かったんだよね。

 ノアローがまた立ち上がろうとしたから、パパは「ネンネ、ネンネしな」と言ったのだけど、それはナデナデしていて暫くしたら体が優しくなって呼吸が楽になって落ち着いてきたから、一休みして明日獣医さんへ行けば助かると思ったからなんだよ。

 でも、そうはならなかったのは、それがノアローの寿命だったからなのでしょう。

 ノアローが体調を崩してからの約一ヶ月間、喜んだり嘆き悲しんだりしながら、日にちや曜日、時間の感覚さえわからなくなりました。

 ただただノアローが元気になることだけを願い、元気になることを信じて駆けずり回っていました・・・。

 これは、ノアロー的な老衰だったのかなと思います。

 ノアローは元気で若い頃から、瞬発力というか爆発力はありましたが、持久力は余りないタイプでした。

 ノアローの性格、動き方、それらが、そのままノアローの生き様だったような気がします。

 だから、最後の最後まで寝たきりにはならず、パッと行ってしまいました。

 その性格は、この世を去っても尚、我が家や車の中にあるような気がしています・・・。

 写真は2008年12月撮影

コメント

_ ラブレト ― 2010年05月27日 23時19分59秒

本当に何故、どうして?と思ってしまいます。
この1ヶ月間で相当病院に通われたのですね!
想像以上でした。
ノアロー君はやりたい事をやって天寿を全う出来たのだから、ご家族に感謝しているでしょうね。
病院で大型犬の寿命は10歳くらいだから・・・と言われる度に、そんな事はない!と思っていましたが、個体差はあるかもしれませんが、悲しいけどそうなのかもしれません。
一日でも長くうちのらぶと一緒に居れることに感謝しなければいけませんね。
毎日パソコンの前にばかり座って、夜が更けて行くようじゃいけませんね。σ(^_^;)アセアセ...

_ ノアローママ ― 2010年05月30日 14時46分18秒

ラブレトさん、
いつもありがとうございます。
私のお友達でも11歳前後でラブラドールを亡くされた方はいます
ので、一般論としても寿命なのかと思います。
矢張り、失ってみて初めてわかる痛み苦しみですね・・・。

毎日の暮らしを楽しんでくださいね!

_ 京都府千原と申します ― 2010年12月03日 08時28分27秒

内のラブラドールの、名前はクロちゃんが先月の11月21日に亡くなりました。平成17年の7月7日に京都府の向日町警察署が捨て犬として捕獲していたのを貰い受けて飼ってきた犬です。家の前の駐車場で飼っていたので、近所の方たちから、愛嬌者の犬として可愛いがられていました。年齢は捨て犬の為分かりませんがおそらく11歳か12歳ぐらいだと思います。肝臓と腎臓が悪く貧血も起していました。火葬するときに嫁さんと二人でクロクロと言って泣き最後の別れをしました。ノアロチャンも最後まで本当に大切にされて、犬として本望だったんじゃないでしょうか。でも本当に犬との永遠の別れはつらいものです。僕も今だ悲しみが消えていません。ノアロちゃんのご冥福をお祈りします。

_ ノアローママ ― 2010年12月06日 03時34分06秒

千原さん、ありがとうございます。
クロちゃんは亡くなったばかりなのですね。お悔やみ申し上げます。
私も普段の生活の中で、ふとした弾みでノアローの事を思い出し、
「生きているノアローとは二度と会えないんだな」と思うと胸が押しつぶされそうです。
とても悲しいです。
死んでしまうと一瞬で何もかも変わってしまいます。生きているものが死ぬことの絶対さに今でも呆然としている時があります・・・。
クロちゃんきっとパパやママから離れないで、魂になっても寄り添っていると思います。ご冥福をお祈りします。

_ ガイト ― 2011年01月30日 04時25分14秒

初めての投稿です。
僕も去年夏までラブラドールを飼っていました。
名前はトマトです。
亡くなった時は13歳でした。
亡くなる時は家族3人に見守られながら静かに息をひきとりました。
僕が小学校の時からずっと兄弟のように過ごしていました。僕が中学生の反抗期の時に親と喧嘩を毎日のようにしていた時もトマトだけはずっと静かに僕の横でじっと寝ており、悲しんでいるときもじっと慰めてくれていました。そんな兄弟のようなずっと元気だったトマトが自分の前で亡くなった時は信じれませんでした。その前から体調は悪かったのですく覚悟はしていましたがいざとなるとやはり気持ちの整理はできませんでした。しかし亡くなった日の夜知るはずのない叔母の夢にでたらしいです。それを聞いた時に僕は整理が出来ました。僕はその時かけがえのない大切な時間をありがとう。生まれてきてくれてありがとう。我が家に来てくれてありがとう。としずかに語りかけました。僕は何かトマトとの大切な思い出を創りたいと思い写真のムービーをつくりました。そしてトマトが我が家にいたということを忘れないためにのずっと走り廻ってた庭にトマトのもみの木を植えました。先日雪が降ったときにもみの木に綺麗に雪が積もりました。その時また思い出がでてきました。もしよかったらすでに何かやってらっしゃるかもしれませんがノアロちゃんとの記念を作ってみてください。
遅くなりましたがノアロちゃんのご冥福をお祈りします。

_ ノアローママ ― 2011年02月03日 15時38分59秒

ガイトさん、初めまして、コメントをありがとうございます。

トマトちゃん、13歳で亡くなったのですね・・・。お悔やみ申し上げます。
13年の年月は長いですよね。
特に若い方にとっては環境がめまぐるしく変化していく時期ですし。
その大事な時期を一緒に過ごされたことは、ガイトさんの人生にとっても意味深いことだ思います。
トマトちゃんとの大事な思い出を形にして残されたとのこと、お話して下さってありがとうございます。
ガイトさんの気持の優しさとトマトちゃんへの愛情の深さを感じます。「千の風」みたいに、トマトちゃんの魂が楽しげに、もみの木の周りを舞っているような・・・そんな情景が思い浮かびます。

私の場合は、絵でしょうか・・・。
ノアローが来てからラブラドールの絵を描き始めました。今の私が一生懸命取り組んでいることは、ノアローが私に残してくれた遺産だと思っています。
と、最近やっと心から思えるようになりました。
ノアローが私に残してくれたものを一層発展させ、やがて、いつか・・・「ノアローちゃん、やったよ!」と言えるようになりたいです。

ガイトさん、思い遣りある書き込みをありがとうございます。
トマトちゃんのご冥福をお祈りします。

_ ランママ ― 2011年06月05日 23時38分05秒

初めて投稿します。我が家も去年の4月13才8カ月のラン丸というわが子同然のラブラドールを亡くしました。癌でした。たった4カ月で、、ウンチもおしっこも出にくくなって、、辛さから解放するために、家族で話し合って辛い辛い決断 安楽死でした。1年経っても悲しみは癒えません。供養の日々を送ってます。大好きでした。同じように大事なノアローちゃんを失い悲しむ気持ちが伝わってきます。ノアローちゃんのご冥福をお祈りします。

_ ノアローママ ― 2011年06月08日 02時09分52秒

ランママさん、始めまして。お悔やみとコメントありがとうございます。
ラン丸ちゃんとは辛いお別れだったのですね・・・。ランママさんのご家族の苦しみを思うと心が痛みます。
愛犬という小さな命とのお別れがこんなに辛くて悲しくて、いつまでもその悲しみは心から消えることもなく、人生って何だろう、、、なんて思ってしまうこともあります。
でも、それはそこに愛があるからなんだと思って、私も頑張って前向きに生きています。
ランママさんもラン丸ちゃんとの素晴らしい思い出を大切にして、ラン丸ちゃんへの愛が幸せをもたらしてくれたことを忘れないでくださいね。
ラン丸ちゃんの魂が、いつもランママさんを見守ってくれますように・・・。ご冥福をお祈りします。

_ らんまま ― 2011年06月08日 08時29分20秒

ノアローママさん ありがとう ラブラドールの可愛さと失った辛さをわかっていただけて、また同じ辛さを持っている方がいるんだと思えるだけでも気持ちが楽になりました。安楽死  ラン丸が若い時から将来に絶対選択したくないと思っていたのに、、抗がん剤もオペも無理と言われ、大学病院で唯一の放射線治療を受けさせましたが、救ってあげられませんでした。無力さにいまでも涙が出てきます。先生には最期までよく看ましたねと言われましたが、罪悪感もあります。これって難しい問題ですね。答えがわかりません。ノアローちゃんは静かに旅立っていかれたのですね。でも、  神様はどうしてこんなに短い命しか犬に与えなかったのでしょうね。

_ ノアローママ ― 2011年06月12日 01時27分31秒

ランママさん、
どういたしまして。少しでもお役に立ててうれしく思います・・・。

ノアローがシニアになってからは特に、一日一日を大切にして幸せを噛み締めて生きよう・・・なんて思っていたのですが、毎日の生活は砂のように流れて落ちて、あっと言う間に終わりが来てしまいました。
もっともっと一緒にいたかったという思いが消えません。ああすれば、こうすれば、あと一年くらいは生きられたんじゃないかな?とか、いつまでも同じことを思っては打ち消しています。

ラン丸ちゃんもきっとそうだったと思いますが、本当に優しい・・・、心が優しいワンちゃんですよね、ラブラドールは。明るくて前向きでユーモアがあって、家族に対してとても寛大でした。そういう愛犬に恥じない人生を送らなければいけないと思っています。

ランママさんも悲しくてしょうがないと思いますが、一生、ラン丸ちゃんに感謝して、それを支えに頑張ってくださいね!!私も頑張ります。

_ ロックちゃん ― 2013年08月22日 03時42分09秒

我が家のロックちゃんは今日、21時頃に亡くなったと両親共に連絡がありました。9歳でした。歳はとってきてたけど、まだ死ぬなんて思ってもいなくて…。
2ヶ月前ほどでしょうか…母から「肝機能が悪い」っと聞いて、先週Skypeで顔を見た時もグッタリしんどそうにしてました…。そう長くは無いと薄々は気付いてたけど…回復も信じて母は頑張って、夜も隣で寝ながら看病していました。

私は海外に居いて、約1年半は会えないまま…心に穴がポカーンと空いてしまいました。でも有り難うロックちゃん、会えて良かった。

_ ノアローママ ― 2013年08月30日 09時04分59秒

ロックちゃんのママ(お姉さん?)、
お返事が遅れてすみません。

心からお悔やみ申し上げます。
ロックちゃんはお星様になってしまったんですね。
とても辛くて悲しいことだと思います。
時が経てば別れが来るとは、生きている者の悲しい宿命ですよね・・・。

これまでロックちゃんを大事にされていたように、ロックちゃんとの思い出もずっと大事になさっていれば、天国のロックちゃんも幸せなのではないでしょうか・・・。

天国のロックちゃんがいつまでもご家族を見守ってくれますように。
書き込みをありがとうございました。

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