ラブラドール・ノアロー -- ノアローの肖像画2012年07月16日 01時52分26秒


 これは最近描いたノアローのポートレイトです。

 ノアローが生きている最後に描いたのが2010年5月3日ですから、二年のブランクがあったことになります。

 この悲しみの2年間、私はやっぱり何かを失ってしまっていたように感じます。

 ノアローの死が余りに大きくて、残りの人生が消化試合みたいに思うことも度々でした。

 顔を見れば、一気に老け込んでしまったようで悲しかったです。

 「私はもう駄目なのかも知れない」とあるとき、他のアーティストの絵を見て思いました。

 他の方たちは年を追うごとに上達しているというのに、私はまともに絵さえ描けないのかと思いました。

 色々と思うことがあり、再び描いてみることにしました。

 出来ました。

 本当に良かったです。

 これからも描き続けようと思いました。

ラブラドール・ノアロー -- 心のイラスト2012年06月22日 22時53分27秒


 このイラストはノアローの三回忌の後、少しして描いたスケッチを元にしたものです。

 私は前から愛犬(ラブラドール)を亡くした人の為に慰めになるような、そういう絵を描きたいと思っていました。

 ノアローが亡くなった直後に少しばかり天使の絵を描いたこともありますが、愛犬の死にまつわる作品は矢張り描いていると悲しくなりますね・・・。とても悲しくなることもあります。

 そういうことがあって、なかなか描けませんでした。

 それに、愛犬を失った悲しみや、いつまでも終わらない愛を描くのはネガティブ思考なのかな?という思いもあったかもしれません。

 やっと一つ描くことが出来ました。

 ラブラドールというワンコはとても心が優しく、自分を愛してくれるパパやママにとても心が寛大で自我もあるから、きっと天国へ行ってもパパやママに「しっかり頑張ってね。僕(私)が見守っているからね」と静かに愛を送り続けてくれているんじゃないのかな?

 最近、そんな風に思えるようになりました。

 絵の中のラブラドールの天使ちゃんは、どこか上から目線なのがおかしいですね。(笑)

ラブラドール・ノアロー -- ノアローちゃんの三回忌2012年06月10日 23時51分25秒


 去る5月13日はノアローの三回忌でした。この絵は、ノアローの三回忌の記念に描いたものです。

 毎年、ノアローのために絵を描こうと決めておきながら、数日前まですっかり忘れていました。

 なんとか三回忌の日に間に合って仕上がり、しかも、前年の作品よりも良い物が出来て良かったです。
 
 ノアローが天国へ旅立ってから、早くも二年の月日が流れました。

 ノアローが生きていれば今頃は13歳・・・。

 今日までの間、ノアローと同じ年に生まれたラブラドールたちが何頭か天国へと旅立って行きました。

 愛犬の寿命が尽きて亡くなっていくと同時に、人間の方も年を取って行きますね。うら寂しい気持ちになりますね。

 ところで、我が家では毎日、ノアローの仏壇にオヤツやドッグフードのお供えを欠かしません。

 お供え用ですので小さな袋のフードを頼んでいます。

 ノアローが死んだ後、初めて届いた梱包の箱の小ささを見て涙が止まらなかったです。

 ドッグフードやごはんを沢山食べるノアローは、もうこの世にはいないんだなぁと思って悲しくてたまらなかったです。

 ずっと大きな袋で頼んでいたのに、ある時から小さな袋になってドッグフード屋さんは不思議がっていないかな?なんて思っていました。

 前回、間違って大きな袋を頼んでしまったこともあり、今回はフードを頼むときに備考欄に「お供え用のフードです」と書くことにしました・・・。

 そうしたら、フードと一緒にこの缶詰が送られてきました。
 
 きっと仏壇にお供えして下さいという意味だろうと思いました。ありがとうございます・・・。
 

 とても嬉しかったです。私も味見してみましたら、ホワイトチョコみたいな味がしました。

 オヤツとして少しずつノアローの仏壇にお供えしています。

ラブラドール・ノアロー -- 私の心の・・・2011年08月23日 23時56分34秒


 昨日はノアローの13回目の誕生日でした。

 私の大事なノアローちゃんは死んでしまったので、小さなケーキやオヤツを仏壇にお供えしました。

 最近は忙しいせいもあり、前のようにノアローの死の悲しみで嘆き苦しむことはなくなりました。

 ほかのラブラドールのように元気で生きていれば、13歳の誕生日をお祝いできたのかな?なんて思うこともなくなってきました。

 ノアローちゃんは遠くへ行ってしまったのかな・・・。

 そう思うと悲しいですね。

 でも、前のようには悲しくはありません。

 震災後に、アメリカでラブラドールのブリーダーをやっているお友達に、「日本でも良いラブラドールがいるのを見つけたけれど、景気もどうなるかわからないし、今はラブラドールを迎える状態じゃないの」と言ったところ、

 「そのブリーダーさんと縁が出来るかもしれないし、出来なくても、どちらにしても、ノアローはあなたの心の中にずっといるから」

 というようなことを言われました。

 「ノアローは私の心の中にいる」

 その直後は、ノアローはもう私の心の中にしかいないんだ・・・という、悲しい思いにとらわれました。

 でも、「ノアローは私の心の中にいる」という概念は、私の心を捉えて離れませんでした。
 
 何度も何度も、その言葉が頭の中に浮かびました。

 やがて、私の心の中で、ノアローが丸くなっておネンネしているような、赤ちゃんのように抱っこされているような、そういうイメージが心に浮かぶようになりました。

 私の心の中でノアローが大事に守られているというイメージは、私の心に平穏をもたらしたのかもしれません。

 心の中とは上等な住処じゃないかと、、、今ならそう思えるのです。

ラブラドール・ノアロー -- お盆の出来事 2011年編2011年07月22日 00時39分15秒


 ご無沙汰しております。暑かったと思ったら、台風が来て、今は寒いですね・・・。

 7月12日から16日はお盆でした。

 12日、いつも通り、仏壇の前に祭壇をこしらえて、竹やほうずきで飾り付けをしてご先祖様をお迎えしました。

 飾り付けをしているときに、うちの夫がそこに置いてある椅子の真下にあったノアローのおもちゃを椅子の上に置きました。

 そのおもちゃはいつも気にしているおもちゃなので、自然と目がいきました。

 椅子の上にはラブラドールの柄のクッションと、ノアローのバンダナが飾ってあって、ずっとそのままの状態で置かれています。

 夕方、迎え火をたいてご先祖様の霊をお迎えして、飾りもすべて終わった状態で、なにげなく仏間へ行ってみると・・・。

 椅子の上に置いたはずのおもちゃは、元あった椅子の下に戻っていました。

 「え?」と思いましたが、心のどこかで「やっぱりね・・・」という気持ちがありました。

 ノアローちゃんの仕業だったのかな?

 ノアローが亡くなる前、ノアローは暫くの間、その椅子の脇に伏せてうずくまっていました。

 力が弱っていて、その場所から動けなかったのかもしれません。

 その場で立ち上がったとき、本当に息が苦しそうに見えましたが、ノアローは頭を下げて椅子の下にあったおもちゃの匂いをクンクン嗅いだのです。

 そこにおもちゃがあることを確かめたかったのでしょうか・・・。

 だから、その場から、そのおもちゃを動かしたことはありません。

 たまたま、夫が椅子の上に上げましたけれど、やっぱり元の場所に戻ってしまいましたね・・・。

 ノアローが天国へ召されてから、ノアローと同じ1998年生まれのラブラドールが何頭か天国へ旅立ちました。

 寿命だから仕方がないんだ、、、と、少しずつ思えるようになって来ました。

 ワンコの一生は短いけれど、やはり、ラブラドールは人を愛する優しい犬種ですね・・・。

 大好きです。