ラブラドール・ノアロー -- 酷暑に思う2010年08月20日 15時09分02秒

              (2007年8月撮影)

 今年は3年振りの酷暑だと聞きました。

 3年前と言えば2007年ですね。

 お盆休みに、ノアローと一緒に家族で戸隠まで行ったことが思い出されます。

 遠くて道は険しく、けれどもとても素晴らしいところでした。

 戸隠で食べたお蕎麦は忘れられない大事な思い出ですが、それにも増して暑かった・・・。

 暑さのためか、無理が祟ったのか、ノアローは車の中で具合が悪くなり、ヒンヒンと鳴き、「どうしたんだろう?どうしたんだろう?」とおろおろと心配していると、最後は食べたものを吐き出しました。

 貸別荘へ着くと、今度は下痢・・・。

 生きた心地がしませんでしたね。

 貸別荘の管理人に近くの獣医さんを聞き、何回か電話で指示を仰ぎました。

 やがて下痢も治まり、ノアローはぐったりと眠り込みました。

 体を休めて回復させようと本能がそうさせたのだと思います。

 しばらくしてノアローは起きあがり、元気を取り戻すことが出来ました。

 ノアローが9歳の誕生日を迎えるちょっと前のことです。

 ノアローがシニア犬の年齢を重ねていくのと同時進行で、気候は厳しくなって行ったなぁ・・・と思ってしまいます。

 寒暖の差が激しく、シニア犬には辛かったと思います。

 今年の冬から春にかけての寒さと天気の不安定さは忘れられません・・・。

 天気に感情があるはずもないのに、「意地悪で冷たい」と恨みました。

 我が家が病院のように空調が整い、一定の温度や湿度を保てたら、ノアローはもっと生きられたのかなぁ?なんて詮無いことを考えます。

 2007年の夏は、アメリカからお友達が会いに来てくれるという、忘れられない出来事があった夏でもありました。

 その時、家でお留守番をしていた彼女の黒ラブのオッター君は、翌年の同じ頃に亡くなっています。

 時の流れですね・・・。

 そして、ノアローがいなくなった今年の夏、高速を使って実家へ行って帰って来ましたが、思ったほど疲れませんでした。

 何故だろう?と思って考えたところ、ノアローの体調という心配事がなくなって、気疲れしなくなったからだと気付きました。

 それだけノアローのことがいつも心配だったのでしょう。

 ノアローちゃん。

 今年の夏は格別に暑くて、高速では渋滞にはまってしまったから、あなたが生きていたら心がちぎれてしまうほどに心配でたまらなかったよ・・・。

 パーキングエリアもサービスエリアも人と車でごった返し、太陽光線は刺さるように暑かったし・・・。

 ねぇ、ノアローちゃん。どうすれば良かったのかな・・・?

 どう考えれば良いんだろうね?

 それとも、何も考えない方が良いのかな?

 ノアローちゃんが生きていれば・・・なんて考えるよりも、誕生日の計画でも立ててよ!と、魂になったスピリチュアル・ノアローちゃんはフンフンと鼻を鳴らして催促しているかもしれませんね・・・。

ラブラドール・ノアロー -- 暑い季節に思い出す2010年07月21日 23時21分13秒

              (2009年7月撮影)

 また暑い季節が巡ってきました。

 毎日、エアコンはフル稼働です・・・。

 ノアローが生きていたら、今年の夏も色んな事を心配していたのかな?と思います。

 去年、6月にノアローに大きな神経痛&腰痛が起きてから、エアコンの使用を控え、神経痛が再発しないことに神経を使いました。

 神経痛が起きたとき、ノアローは痛さの為だと思いますが、ブルブルと震えて・・・。

 痛さに怯えて震えていたのではないでしょうか。

 辛かったです。

 怖くて、私は寒気がして震えが止まらなかったです。

 見ているだけで何も出来ない無力さを痛感させられる出来事でした。

 それ以降、心の底に不安が澱のように溜まり、ノアローと一緒に出掛けても心から楽しむことはなかったような気がします。

 そして、正露丸のお世話になる始末・・・。

 心配で心配でしょうがなかったです。

 その気持ちは今でも鮮烈に思い出すことが出来ます。

 ノアローを失い、もう二度と失う事のない今でも、あの何とも言いようのない、「ノアローを失うことを恐れる不安な気持ち」を思い出して胸が苦しくなるのです。

 おかしいですね。

 死んでしまったノアローに「もう大丈夫だよ。もう怖いことはないよ」と優しく撫でてあげたいと思うのです。

 でも、反対に、魂になったノアローがそばで「大丈夫だよ」と笑っているのかもしれませんね。

ラブラドール・ノアロー -- 獣医さんへご挨拶2010年06月06日 16時02分09秒

           (写真は2010年4月13日撮影)

 先日、ノアローが子犬の頃からお世話になった獣医さんへご挨拶へ行ってきました。

 これまで11年と少し、本当にお世話になりました。

 2003年11月15日にはノアローはガラスをたたき壊し、大怪我をしました。

 手術は2時間以上掛かりました。院長先生達の手も服もノアローの血だらけになりました。とても辛い光景でした。

 切れた腱をを繋いで貰い、お陰様で両前足は前と変わらず、飛んだり跳ねたり出来るまで回復しました。

 先々月だったか、ノアローが獣医さん通いをしている中で、院長先生がぽつりと「あの時、出血多量になっていたら助からなかったよ」と言われたことを思い出します・・・。

 夫にとっても私にとっても、ノアローのいない車に乗って獣医さんへ行くことは、とてもとても辛い事でした。

 行きに夫が選んだ道は、普段使っていたノアローがいきなり車の中で心臓がおかしくなってグッタリしてしまった道ではなく、もう一方のなだらかな方の道でした。

 心臓がおかしくなった方の道は、それ以来、ノアローが存命中は通らなかったですね・・・。

 院長先生はノアローがおだやかにこの世を去ったと聞いてホッとなさっていたようでした。

 ご挨拶をして、いつも通った道を帰りました。

 私はとても悲しくて車の中で泣きました。(夫も同じ気持ちだったと思います)
 
 最後の日、獣医さんの駐車場に止めた車の中で見たノアローの顔が忘れられないからです。
 
 私が院長先生を連れてくると、ノアローはちゃんとシートに座って待っていました。そんなに体力はなかったはずなのですが。

 無理して頑張って、少しでも元気なところを見せたかったのだと思います。ノアローは自我の強い子でしたから。

 やっぱり、この話は悲しい話ですね。でも、お世話になった獣医さんへ挨拶へ行くのは人としてのケジメですから。

 普段、狭い小さな世界で暮らしているノアローにとって、獣医さんとは特別な場所で、大事な場所だったのかもしれません。

 全く知らない人たちから、「可愛い」と言われたり、「大きいね」と言われたり、自分が「見られる場」だと理解していたのだと思います。

 又、ノアローは院長先生には一目を置いているようでした。他の先生とでは明らかに態度が違っていましたから・・・。

 ご挨拶も終わり、これで自分の顔が立ったとノアローも喜んでいるはずです。

ラブラドール・ノアロー -- ノアローちゃんの位牌2010年06月06日 15時40分41秒

 
 我が家では、ノアロー亡き後も、出来るだけノアローのために供養をしてやりたいと思っているので、夫の強い希望で位牌を作りました。

 位牌は普通の仏具屋さんで買いました。

 愛犬用とかペット用とか、可愛い系のものもあったのですが、矢張り、本格的な物が欲しくて人間用から選びました。

 人それぞれだと思いますが、名前を刻んで貰う時、「愛犬○○之霊位」と入れるかどうか・・・。

 うちは入れませんでした。ノアローが人ではないことは誰でもわかっていることだからです。

 裏には享年12歳と彫られています。

 繰り上げですね。

 実際には11歳と9ヶ月に少し足りなかったのですが・・・。こういうものは繰り上げで良いのだそうです。

 いざ仏具店で位牌を受け取って見たとき、夫の目にも私の目にも涙が浮かびました。

 でも、ノアローは新しいグッズを買って貰ったと喜んでいるような気がしました。

 ノアローは普段特定の物に執着することはなかったですが、自分の財産という概念はあったようで、新しい持ち物が増えるととても喜んだものです。

 これもノアロー的供養の一つです。
 

ラブラドール・ノアロー -- ノアローちゃんの楽々生活(2)2010年06月05日 15時05分56秒

      (写真はビデオクリップから。2009年6月撮影)
 
 ノアローが生きていた頃、ノアローは台所がことのほか好きだったような気がします。

 だから、亡くなる直前の家内パトロールでも、台所には二回行っています・・・。

 一日、何度となく見回りに行っていましたし、特に私たちがご飯を作っているときは本当に楽しそうでした。

 台所と廊下の境目で寝そべってご飯が出来るのを待っていたり、調理中、チョロチョロ動き回って邪魔だったり、お気に入りのオモチャを持参して大人しく一人遊びをしていたり・・・。

 台所はノアローにとって楽しい場所だったと思います。

 夫が火を使った料理をしている時、しばしばノアローはその足元に寝そべって、「危ないから、どいて」と言われていました。

 ノアローは夫の足に体の一部をもたせかけて、オモチャをカジカジすることが大好きでした。

 台所の真ん中でドテッとしている事も多く、何をするにも邪魔でしたね・・・。

 冷蔵庫や冷凍庫はヒンヤリしていて気持ち良かったのか、はたまた食料品の宝庫だと知っていたからか、番兵のようにドアをふさぐ位置にいましたね。

            (写真は2007年10月撮影)
 
 ノアローは冷蔵庫に買い物で買ってきたオヤツや果物、お菓子が入っていることを知っていたように思います。

 冷凍庫の中にも凍らせたケーキやパンが入っていたことも。

 だから、冷蔵庫や冷凍庫が大好きだったのです。

 居間にいる時も、フンフンと鼻を鳴らして催促して、戸を開けて廊下に出せば、タタタタタと廊下の突き当たりまで行き、そこで私の顔をじっと見たものです。

 そこから私が遊び場である仏間の方に歩くと、ノアローはついて来る時とついて来ない時がありました。

 ついて来ない時は、「台所へ行こうよ!」と誘っている時で、直接台所まで走って行くときもありました。

 そういう時は、冷蔵庫の前で立ち止まって私の方を振り返って「何か食べようよ。ここにあるの、僕知っているよ!」とアピール。

 又は、買ってきた菓子パンが乗っている台の方を鼻で指して「これ、食べないの?」とやってみたり、水が飲みたければ水飲み場で「新しい水を入れてよ」とか「何か甘い物が飲みたいな」みたいなアピールをしました。

 台所へは、何回も、何回も誘われました。
 
 「何か、食べる?」「食べる?」と言うと、すごく興奮して喜びました。

 それを見て夫は、「意地悪だなぁ。食べたいに決まっているじゃん」と言っていましたね。(笑)
 
 だから、魂となった今でも、ノアローは台所に出入りしているような気がしています・・・。