やるきが出ない日々2011年04月12日 22時58分12秒


 東京地方でも大きめの余震が続きます。3月11日の大地震ほどではありませんが、平時の地震と比べれば大きくて長いように感じます。

 まったく落ち着きません。

 幸い、こちらは福島の放射漏れしている原発からは離れていて、ただちに健康被害が出るほどの放射能は届いていないというお話です。

 そうであっても、関東からそう遠くない場所で、日々、放射能が漏れ続け、大地震で被災したところの復旧も遅々として進まず・・・という話を見聞きすれば気は滅入ります。

 がんばれ、がんばれという言葉も無責任に感じます。

 がんばれという言葉は私も大好きでよく使うのですが・・・。

 本当に困っているときには、言葉だけでなく、何らかの援助と一緒に「これを何かの足しにして、頑張ってね」と言うべきものではないでしょうか?

 言葉だけではね・・・。
 
 私も今回の震災でトイレットペーパーなどの必需品の不足に困り、そういう話をしたところ、海外のお友達がみんなで「お助け小包」を送ると何回も言われました。

 大変ありがたいお申し出でしたが、深刻に困っていたわけではなかったので、丁重にお断りしました。

 言葉も大事ですが、困ったとき、辛い時に、小さな小包や物、お金が、大変人を元気付けるものだと思います。

 現実的に、被災地の人たちが今一番必要としているものはお金です。
 
 お金があればほとんどのことはカバーできるでしょう。

 人を大量に雇い、たくさんの重機を使い、突貫工事で被災地を回復させれば、雇用も生まれて経済は大変に活気付くことでしょう。

 まるで高度成長期の日本のように・・・。

 その一番有効なお金が出せないのか、出したくないのかわかりませんが、出てこない。

 そして、お金以外のものが役に立つかのように、ボランティアという言葉でうまーくごまかされてしまっているように感じます。

 こんな風に思いながら、総理大臣の長ったらしい演説を聞いて、「この人は何のために会見をやっているのかな~?」と不思議に思いました。

 今年は庭のこぶしの花は小さく、先日の春の突風であっという間に散りました。

 さびしいですね。

 ノアローが生きている間も、いろんな苦労があって、人生最悪のときにノアローを失うとしたら辛すぎる・・・。なんて思っていましたが、そうじゃなかったですね。

 もっと凄いのが待っていましたね。

 ノアローちゃん、あなたがいなくなった日本は今、大変だよ!

 ノアローちゃんの時代は幸せだったんだよ・・・。とノアローに話しかけても、それで心はまったく晴れませんね・・・。