ラブラドール・ノアロー -- 水仙の季節 ― 2011年04月04日 01時13分01秒
季節は巡り、わが家の庭にも水仙が咲く季節となりました。
今年は去年ほどコブシの花には勢いがありません。
去年の今頃、私は咲き誇るコブシの花を見上げながら、底知れぬ不安に恐れおののいていましたっけ・・・。
そんな風に不安にばかり感じていたから、ノアローが本当にあの世のに連れて行かれてしまったんだと思うこともありましたが、逆に考えれば、私はノアローの死を予感していたことにもなりますね・・・。
今はその心配はありません。
あるのは、世の中を覆い尽くす不安だけ。これは漠然とした物ではなく、きっと確かなものです。
ノアローも気に入っていたコストコも地震による倒壊、そして事故のために閉まったまま・・・。
現場の惨たらしい姿は衝撃でした。西日を浴びてくっきりと浮かび上がる壁の色は外国の建物のように見えました。
建物が元あった姿ではなく、崩れたり、燃えたり、壊れた姿をさらしている様は無惨です。
無惨で胸が痛くなります。
地震が起きて世の中が大きく変わって、その変化が私が望まないものであったり、最も嫌う類のものだったりしてから、少しずつ気持が沈むようになりました。
今年に入って、毎月のようにお葬式が入るからでしょうか?
死について考え、ノアローと過ごした時間について考えます。
人生って短い。ましてや、幸せな時間なんてあっと言う間に過ぎていく・・・。
どんな心構えで生きたら良いのか、・・・わからないです。
それにしても、大地震で原発が壊れて放射能が漏れっぱなしって何でしょう。
東京はそんなに心配しないレベルだそうですが、今後のことを考えたら飲み水だけでも変えた方が良いのかな?とか・・・・・・。
国産のミネラルウォーターが簡単にスーパーで手に入らなくなりました。
薄暗い店内の空っぽの棚を見て、言いしれぬ不安を感じました。
買い占めがどうとかじゃなくて、今は非常事態なんだと、誰だって思うでしょうね。
ノホホンと生きられた時代が懐かしくてたまらなくなる時があります。
ラブラドール・ノアロー -- 絵を描いていますが・・・ ― 2011年03月10日 03時14分08秒

黒ラブの絵を描きました。これは、バースデーカード用に思いついた絵です。
ノアローもカップケーキが好きでした。
蒸しパンをよく作っていた時代もありましたね・・・。
晩年は、スーパーで売っている小さなカップケーキ焼き菓子を二人で分けて食べたものです・・・。
小さいものを更に分けて食べたから、どこに入ったかわからない状態だったのでしょうね。「もっと欲しい!!」と催促されました。
もっともっといっぱいあげれば良かったね・・・・とかくよくよ考えてしまうので、これからも沢山のカップケーキとラブラドールの絵を描こうと思いました。
そうすればノアローに対する供養になるし、私の絵を見た人も同じ思いを抱かれて、多少なりとも心が安まれば良いんじゃないかな、と思っています。
できれば5月までに端午の節句の絵を描きたいですね。ノアローが存命中は端午の節句はお祝いしたことないですが。(笑)
今年はおひな様は間に合わなかったですね・・・。
この頃、便秘が治ったのは良かったのですが、体重がちょっと減り、なんかガクッと体力が落ちてクヨクヨする事が多くなったような気がします。
何なんでしょうね?便秘していたほうが良かったのでしょうかね?(-_-)
ラブラドール・ノアロー -- ラップ音? ― 2011年02月27日 04時20分15秒

最近、夜中に一人で絵を描いていると、変な音が部屋の外から聞こえてくることがあるんですよね。
今日は酷かったです。台所から。
屋根の上に何か落ちてきた音なのでしょうか?それとも、カラスが歩いている???
金属が冷めてパキッといった音のようにも聞こえましたし。
ラップ音なのでしょうか?
不気味ですね。
ところで、ラブラドールのオークションが無事に終わりました。
大変嬉しいことに、とても高い値段で落札されました。(*^_^*)
この絵から出てくる不思議なパワーを感じて下さったのでしょうか???2000ドルを超えた金額ですから、大金ですよね。
お役に立てて光栄に思います。
今日は酷かったです。台所から。
屋根の上に何か落ちてきた音なのでしょうか?それとも、カラスが歩いている???
金属が冷めてパキッといった音のようにも聞こえましたし。
ラップ音なのでしょうか?
不気味ですね。
ところで、ラブラドールのオークションが無事に終わりました。
大変嬉しいことに、とても高い値段で落札されました。(*^_^*)
この絵から出てくる不思議なパワーを感じて下さったのでしょうか???2000ドルを超えた金額ですから、大金ですよね。
お役に立てて光栄に思います。
今まで描いてきた中で、「これは傑作だ!!!!」と自画自賛している絵が幾つかありますが、これはその中に入ります。
ということは、矢張り、ノアローちゃんも喜んで騒いでいる???という結論に持って行ってもいいのでしょうか?>謎のラップ音
ラブラドール・ノアロー -- 間違い電話 ― 2011年01月26日 22時41分53秒
今日、とても面白い出来事がありました。
親戚に不幸があったので、歯医者さんの予約を変更して貰おうと思って電話を掛けたのです。
電話番号を見て、「あれ、あそこの市外局番はこうなんだ」と少し印象に残りましたが、そのまま掛けました。(そこは東京都23区内・・・)
「はい、△△獣医科、○○です!!」
普段、歯医者さんでは奥様が受付で電話応対されるのですが、「ああ、若いバイトさんを頼んでいる事もあるんだな」と思いました。
「こんにちは。△△町のオチアイです!」
「こんにちは、あれ、ノア・・・チャン・・の・・・?少しお待ちください」
と、その時点で私は気が付きました。
ここは歯医者さんではなく、獣医さんであると・・・。
「すみません。ノアローのオチアイです。その節はお世話になりました。歯医者さんの方に掛けようと思って、間違えて獣医さんへ掛けてしまいました、テヘヘ・・・」
「ああ、もう落ち着かれました?ノアローちゃんは慣れてましたからね。また次の子が来たらお連れくださいね!」
「院長先生にもよろしく言っておいてください」
と、大体こういう感じの会話でした。
笑っちゃいました。
若い女性の先生の明るく元気な声を聞いたこともあるでしょう。
ノアローが最後の数日、消えかけた命の灯火を灯させるため、痛い注射を打った時、ノアローがビックリしたような顔をして見せたこと・・・。
最期の日には静脈になかなか注射針が入っていかず、ノアローが辛そうに見えたこと。(最後は院長先生が入れてくれましたが)
それらは大きな堅いトゲみたいに、ずっと心に深く突き刺さっていました。
最後にノアローに辛い惨めな思いをさせたんじゃないかと・・・。
でも、今日は私は全く違う風に感じました。
ノアローは先生の痛い治療をされたことを恨んではいないし、むしろ、いつも数人がかりで治療やお手入れをされて、そのことに満足していたのではなかったのかな?と。
獣医さんでちゃんとした医療を受けられて、いつも知っている匂いや手で治療を受け、最後の日までノアローは幸せな子だったんだなぁ。
そんな風に感じました。
心が晴れました。
いつものお利口さんのノアローちゃん(獣医さんでは良い子)が、電話の中に現れたようでした。
ノアローちゃん!先生は元気そうだったよ。良かったね。
ラブラドール・ノアロー -- 心の旅 ― 2011年01月21日 01時19分56秒
2010年5月13日に愛するノアローと死に別れてから、ずっと長い間、私は死の影に取り憑かれていたように感じます。
死にたいとか、死にたかったとかではなく、いつも死について考えていました。
自分は死に近いところにいたんだなぁ・・・と思います。
それは、今、自分がもうそこにはいないから、そういう風に感じるのでしょう。
去年の12月、健康診断で膵臓に異常が見つかった時、私は自分が死の病に冒されているのかもしれない・・・と、とても心配しました。
家族も心配していたようです・・・。
検査でその疑いが晴れるまで、ネットで闘病記を読みまくりました。
死んでいく人たちの闘病記ですから、救いは余りないですよね。
もやもやとした不安な状態で毎日を暮らしていました。
幸い、年末には膵臓には異常がなく、卵巣に腫瘍があるということがわかりましたので、死の影は遠ざかったと言えるでしょうが、「手術」の二文字が気を重くさせました。
全身麻酔とは臨死体験だと巷では言われていますし。
入院、手術は、普通の日常に比べれば、死の近くにあるものだと言っても過言ではないでしょう。
手術中に人が死ぬことはあります・・・。
年が明けてから、MRIを受ける前、MRIの結果を見たら腫瘍は消えてなくなっていないかな?と、ふと思いました。
「自分は死の病に冒されているのかもしれない」から「もしかして、自分は異常なしなのではないかしら?」と、気持が180度楽観的な方向へ切り替わっていたわけです。
膵臓の辺りに感じていた痛みもなくなっていきました。
不思議ですねぇ・・・。
そして、MRIの結果は、先にブログでもご紹介している通り、卵巣腫瘍ですらない、治療の必要がない子宮筋腫でした。
あの時、パーッと空が晴れ渡ったような、心から陰りが消えたような、なんとも言えない爽快感を感じました。
自分が何かから解放されたような。。。
自分は、もう、死とか、絶望とか、深刻な喪失感に支配された、真っ暗な長いトンネルを抜け出したんだと感じました。
ノアローが死に、それによって私の運も尽きてしまったのではないかと、そんな風に思っていたこともあるんですよね。
でも、そうじゃなかったですね。
死にたいとか、死にたかったとかではなく、いつも死について考えていました。
自分は死に近いところにいたんだなぁ・・・と思います。
それは、今、自分がもうそこにはいないから、そういう風に感じるのでしょう。
去年の12月、健康診断で膵臓に異常が見つかった時、私は自分が死の病に冒されているのかもしれない・・・と、とても心配しました。
家族も心配していたようです・・・。
検査でその疑いが晴れるまで、ネットで闘病記を読みまくりました。
死んでいく人たちの闘病記ですから、救いは余りないですよね。
もやもやとした不安な状態で毎日を暮らしていました。
幸い、年末には膵臓には異常がなく、卵巣に腫瘍があるということがわかりましたので、死の影は遠ざかったと言えるでしょうが、「手術」の二文字が気を重くさせました。
全身麻酔とは臨死体験だと巷では言われていますし。
入院、手術は、普通の日常に比べれば、死の近くにあるものだと言っても過言ではないでしょう。
手術中に人が死ぬことはあります・・・。
年が明けてから、MRIを受ける前、MRIの結果を見たら腫瘍は消えてなくなっていないかな?と、ふと思いました。
「自分は死の病に冒されているのかもしれない」から「もしかして、自分は異常なしなのではないかしら?」と、気持が180度楽観的な方向へ切り替わっていたわけです。
膵臓の辺りに感じていた痛みもなくなっていきました。
不思議ですねぇ・・・。
そして、MRIの結果は、先にブログでもご紹介している通り、卵巣腫瘍ですらない、治療の必要がない子宮筋腫でした。
あの時、パーッと空が晴れ渡ったような、心から陰りが消えたような、なんとも言えない爽快感を感じました。
自分が何かから解放されたような。。。
自分は、もう、死とか、絶望とか、深刻な喪失感に支配された、真っ暗な長いトンネルを抜け出したんだと感じました。
ノアローが死に、それによって私の運も尽きてしまったのではないかと、そんな風に思っていたこともあるんですよね。
でも、そうじゃなかったですね。
ノアローが死んでしまったことも、検査で異常が見つかったことも、すべては偶然なのですが、人生には流れとかターニング・ポイントというものがあるのだと感じました。
私はもう、去年のように悲しくはありません。胸がいつも締め付けられていたような感覚もなくなりました。
この調子で元気に前向きに頑張って行こうと思っています。(^^)/
私はもう、去年のように悲しくはありません。胸がいつも締め付けられていたような感覚もなくなりました。
この調子で元気に前向きに頑張って行こうと思っています。(^^)/
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