ラブラドール・ノアロー -- 心の旅2011年01月21日 01時19分56秒


 2010年5月13日に愛するノアローと死に別れてから、ずっと長い間、私は死の影に取り憑かれていたように感じます。

 死にたいとか、死にたかったとかではなく、いつも死について考えていました。

 自分は死に近いところにいたんだなぁ・・・と思います。

 それは、今、自分がもうそこにはいないから、そういう風に感じるのでしょう。

 去年の12月、健康診断で膵臓に異常が見つかった時、私は自分が死の病に冒されているのかもしれない・・・と、とても心配しました。

 家族も心配していたようです・・・。

 検査でその疑いが晴れるまで、ネットで闘病記を読みまくりました。

 死んでいく人たちの闘病記ですから、救いは余りないですよね。

 もやもやとした不安な状態で毎日を暮らしていました。

 幸い、年末には膵臓には異常がなく、卵巣に腫瘍があるということがわかりましたので、死の影は遠ざかったと言えるでしょうが、「手術」の二文字が気を重くさせました。

 全身麻酔とは臨死体験だと巷では言われていますし。

 入院、手術は、普通の日常に比べれば、死の近くにあるものだと言っても過言ではないでしょう。

 手術中に人が死ぬことはあります・・・。

 年が明けてから、MRIを受ける前、MRIの結果を見たら腫瘍は消えてなくなっていないかな?と、ふと思いました。

 「自分は死の病に冒されているのかもしれない」から「もしかして、自分は異常なしなのではないかしら?」と、気持が180度楽観的な方向へ切り替わっていたわけです。

 膵臓の辺りに感じていた痛みもなくなっていきました。

 不思議ですねぇ・・・。

 そして、MRIの結果は、先にブログでもご紹介している通り、卵巣腫瘍ですらない、治療の必要がない子宮筋腫でした。

 あの時、パーッと空が晴れ渡ったような、心から陰りが消えたような、なんとも言えない爽快感を感じました。

 自分が何かから解放されたような。。。

 自分は、もう、死とか、絶望とか、深刻な喪失感に支配された、真っ暗な長いトンネルを抜け出したんだと感じました。

 ノアローが死に、それによって私の運も尽きてしまったのではないかと、そんな風に思っていたこともあるんですよね。

 でも、そうじゃなかったですね。
 
 ノアローが死んでしまったことも、検査で異常が見つかったことも、すべては偶然なのですが、人生には流れとかターニング・ポイントというものがあるのだと感じました。

 私はもう、去年のように悲しくはありません。胸がいつも締め付けられていたような感覚もなくなりました。

 この調子で元気に前向きに頑張って行こうと思っています。(^^)/