ラブラドール・ノアロー -- 49日が過ぎて・・・2010年07月01日 14時17分18秒


 6月30日は、ノアローの49日でした。

 お花や生前のノアローが好きだった食べ物を祭壇にお供えして、叔母と一緒にお昼ご飯を食べました。

 あれから、色々と思い悩み、この喪失の苦しみが続くのであれば、ノアローの二代目黒ラブがいる方が良いのではないか?と真剣に思ったこともありました。

 多くの友達にも、「いつかパピーを迎えることも考えたら?」と言われました・・・が、多分、それは将来も起こらないと思います。

 それは、ノアローがそれを望んでいるとは思えないからです。

 真っ黒ラブラドール・ノアローちゃんは我が家と私の実家という狭い小さな王国で、唯一の王様として君臨してきたワンちゃんです。

 何から何まで独り占めで、分け合う事を知らないワンちゃんです。

 そのくせ内弁慶で、神経質で、ガツガツしたところがない、ご飯もお水もペチャペチャ食べるような生まれながらのお坊っちゃま・・・。

 私たちの愛を疑わず、依存し切っていて、私たちが他のワンコを家に迎え入れたら心の底から驚いて落胆することでしょう・・・。

 ノアローの魂は行き場を失い、それこそ迷ってしまうような気がします。

 我が家はノアローの気配で満ちていて、それが消える日は来ないような気がします・・・。

 それと10余年という月日は気が遠くなるほど長いです。

 「もう、良いかな。十分かな」という気持ちが今は強いです。

 蛇足ですが、私が描いたノアローの肖像画は10枚以上あり、次のワンちゃんのためにそこまで出来るかと問われれば、わかりません・・・・・・。

 死んでしまったノアローの供養をして、愛するノアローの魂と共に生きていくことが不幸で悲しいことだとも思いません。(ノアローのことを思い出して死を悼み、涙を流すこととは別の話)

 ノアローが死んでしばらくは、それは死ぬまで長く続く辛く寂しい人生だとしか思えませんでしたが・・・。

 でも、死者を供養して、その魂を慈しみ大事にして生きることは、屍を抱いて生きていくこととは全く意味が違います。

 正直言って、私はノアローは天国にも虹の橋にもいないと思います。

 我が家はキリスト教じゃないので、天国も虹の橋もあり得ないな・・・という気持ちもありますし。

 ノアローのことは生前から、亡くなる時も、すべて我が家のご先祖様の仏壇にお祈りしていたのですから、仏教に準じた世界に属する方が自然ですよね・・・。

 だからと言って、即座に生まれ変わるとか、あの世にいるという考え方も今はピンときません。

 そういう私は、ノアローちゃんは今もこの家にいると信じています・・・。まぁ、仏様になってはいるでしょうが。

 生前とは少し違う状態で今も存在しているはずです。

 ノアローの「あなたの知らない世界」的なエピソードは幾つかあって、その中の一つはとても怖い体験でしたが、ノアローは自分がここにいることを私や夫に伝えたかったのでしょう。

 「僕は帰って来たよ!ここにいるよ!」と。

 それならそれで結構なので、是非、是非、ずっとここに居座って下さい、という心境です。

 ノアローの姿も見えない、触ることも出来ない寂しい毎日ではあるのですが、「きっと、家のどこかにいるな」と思って普通に暮らせるようになってきました。

 前よりもノアローの生前の姿が頭に思い浮かぶようになりました。

 寝ているノアローが両手足を伸ばして、「グゥ~~~」と言った声は今も鮮明に耳に残っています。

 それらのものが前よりも思い浮かぶようになったという事は、私の心もかなり落ち着いてきたという事なのでしょうか?

 ノアローの遊び場だった仏間へ行くと、時折、ノアローの耳垢の臭いを感じることがあります。

 それは夫にはわかりずらい臭いで、私に対する合図なのかな?と思うことにしています。

 耳掃除・・・。ノアローが好きな耳掃除。お耳をパタパタやれば、夜中でも起きて耳掃除をしてあげました・・・。

 ノアローと二人だけの楽しい時間だったね。

 「ポンして。お耳タンするよ」とか言ってソファにノアローを上がらせて、「こっち、こっち」とか「こっち向いて」とか言いながら、あっちこっち動いてソファに頭をこすりつけるノアローを誘導して・・・。

 最後のお耳タンは4月28日。その日は、ソファにポンッと飛び乗れたし、クルンとひっくり返ってお耳を上向きにすることも出来たんですよね・・・。

 耳掃除の思い出は私にとって大事な絶対に忘れたくない思い出の一つです。


 これはノアローの49日に着た黒ラブTシャツです。Love and Miss Noiraudのテキストを入れました。

 この絵は今年のお正月休みに実家で描き上げたものです。

 コンピューターソフトで描いたものですが、あの時のノアローの元気で楽しそうな姿が描かせたものだと思っています。

ラブラドール・ノアロー -- ノアローがいない日常22010年07月03日 18時21分07秒

            (2009年5月14日撮影)

 不思議なもので、ノアローのために夫が突貫工事でウッドデッキを作り始めたのが去年の5月12日。

 それが完成したのは5月14日午前0時を回っていました・・・。

 ウッドデッキが出来てほぼ丁度一年でノアローちゃんはこの世を去って魂だけの存在になってしまったんだね・・・。

 夫には感謝し切れない程感謝しています。

 ノアローは自分のために作ってくれたと、ちゃんと理解していたと思っています。

 去年は今年よりも寒くはなく、5月も6月も気持ちの良い日が多かったように思います。

 天気の良い日は窓を開けて、ノアローも私も気持ちよくお昼寝をしたり、好きなことをして時間を過ごしたものです。

 それは今も変わりません。

 ノアローがいないだけで、Facebookのゲームをやったり、メールの返事を書いたり。

 同じ様な毎日が過ぎていきます。

 昨日はとても悲しかったのに、今日はそうでもないな、、、とか。

 同じ写真を見ても涙が出る時もあれば、フッと微笑んでしまう事もあり・・・。

 ネットで色んなペットロス関係のサイトをネットサーフィンしまくりましたが、なかなか同じような感覚には出会えません。

 でも、色々な面で慰められたりすることはあります。

 だから、ペット、愛犬を亡くした人が、私のブログを読んで慰められれば良いかと思っています。

 「この人よりは自分はマシだ」でも良いので。

 今、描いている絵も、少しずつ進んでいて、一枚目の方はあと少しで完成すると思います。

 絵は込み入った部分を描くときは集中しますので、悲しみは忘れられますね・・・。

 ノアローが死んでしまっても、楽しい可愛いラブラドールの絵が描けるということは、私の心の中に住むノアローが幸せで無邪気でイタズラ・・・、一片の不幸も悲しみもないという事でしょう。
 
 もう幸せで楽しい絵なんて描けないんじゃないかと思った事もありますので、その事がとても嬉しいです。

ラブラドール・ノアロー -- 死者からの餞別2010年07月04日 22時59分11秒

              (2008年7月撮影)

 もうじきお盆がやって来ます。

 ノアローにとっては新盆になります。

 去年まではこっちの世界で先祖の霊を迎えたノアローが、今年は迎えられる側になっちゃうんですね・・・。

 私が仏壇に向かってお祈りをしている時、ノアローは後ろで静かにお座りをしている事がありましたね。

 それを夫の先祖の仏様たちは可愛いと思ったのでしょうか?

 5月に入ってから、とても不思議な出来事がありました。

 十年以上前に亡くなった、夫の親族名義の口座残高を知らせる手紙が銀行から届いたのです。

 金額を見て、ノアローの快気祝いに「これで新しい良いソファが買えるね!」と夫と二人で喜びました。

 ノアローにとっても良い知らせだと信じて疑いませんでした。

 何故かと言えば、それは亡くなった夫の親族がノアローの為に送って来たお金だと思ったからです。

 私がノアローの具合が悪くなって先祖やその方たちに祈ったからだと思いました。

 それまで他の親族や先祖に祈っても、あるわだかまりから、その方に祈ることはありませんでした。

 でも、ノアローを助けて欲しかったから、その方にもお願いしました。

 そして、間もなく手紙が届いたのです・・・。

 連休明けに連絡を取って、手続きをしてお金を振り込んで貰うつもりでした。

 しかし、結局、その後、一度は回復するかのように見えたノアローは衰弱し、銀行と連絡を取った翌日にこの世を去りました・・・。

 そのお金はノアローの旅立ちへの餞別となってしまいました。

 夫はそのお金でノアローの仏壇、仏具を買う足しにしました。使い切ることが親族とノアロー両方への供養になると・・・。

 普通の人は生前の性格や品行とは関係なく、死ねば仏様になるのだと強く感じる出来事でした。

 私が我が家の仏壇を特別なものと感じる出来事でした。

 これは、ノアローや私たちは色々なものから愛されている印の一つでしょうか?

ラブラドール・ノアロー -- ノアローがいない日常32010年07月06日 15時34分21秒

              (2007年9月撮影)

 今年は寅年です。

 寅年生まれのノアローが寅年に死す・・・。

 つまり、丁度干支が一回りして、それで一生が終わってしまったという事なのですね。

 それはノアローだけではなく、我が家における歴史も又一巡したという事なのかもしれません。

 先日、冷凍庫の扉にカビがぎっしりと付いている事に気が付きました。

 それからは気が付けば拭くようにしていますが、拭いても拭いても生えてくるのです・・・。

 よく見ると扉の表面の塗装が細かく浮いてきているような?

 かなり劣化してきているようです。 

 ノアローがいた頃には気付かなかったです。

 この冷凍庫はコストコの会員になってまもなく、多分2003年に購入したものです。

 コストコで色んなものを買うし、ノアロー用のお肉を冷凍保存するために、どうしても必要になって冷凍庫を買ったのです・・・。

 かなり使いました。

 冷凍庫の扉が涼しいのか、冷凍庫の横はノアローのお気に入りの場所でした。

 ノアローがいなくなった途端に、ガクッと劣化していくなんて・・・。

 次に買うときは上からぼんぼん入れていくタイプの冷凍庫が良いなと夫は前に言っていましたが、このノアローゆかりの冷凍庫を果たして捨てることが出来るのでしょうか・・・?

ラブラドール・ノアロー -- ノアローの夢2010年07月06日 16時15分43秒

              (2007年6月撮影)

 ノアローが亡くなってから、ずっとノアローの夢は見ませんでした。

 もう覚えてはいませんが、ノアローが生きている頃もノアローの夢は殆ど見たことがないような気がします。

 愛犬やペットを失った人が、よく「あの子が夢の中に会いに来てくれた!」と話されるのをネットで目にしましたが、私には起こらないことなんだなぁ・・・と思っていました。

 その私がノアローの夢を見ました。

 49日の前の日です。前の日の朝方だったと思います・・・。

 夢の中身は、私がノアローの写真を撮っている夢でした。

 現実にそうであったように、ノアローの動きが速くてなかなか上手くシャッターを押せなかったです。

 そして、夢の終わり頃、仏間でノアローが突然私の目の前にジャンプしてやってきて、大写しになりました。

 あのコストコで買った大きなピンクの虫さんのぬいぐるみをくわえていました。

 そこで夢は終わり、目が醒めました。

 すぐに隣で寝ているはずの夫に声を掛けました。

 夫が起きているような気がしたからです。

 「ノアローちゃんの夢を見たよ。初めて見たよ」と。

 「そう、良かったね」とか何とか夫が答えたと思います。

 その後、起きてからもう一度その話をしたところ、夫は覚えていましたから、夫はその時寝付けないで起きていたのでしょう・・・。

 49日を目前にして、色んな想いで眠れなかったのかもしれませんね・・・。

 この夢から二つの事が考えられます。

 私はノアローが死んでからずっと、2月、3月と、ノアローの格好いい、良い写真が殆どないことを悔やんでいました。

 その潜在意識が、上に書いたような夢を私に見させた。

 或いは、クヨクヨ悩む私を見て、可愛いノアローの魂が夢の中で写真撮影会をセッティングしてくれた・・・。

 どちらなんでしょうね?最後のノアローの飛び出し方は思いがけないもので、夢の中でも私は驚いていました。

 何だか本当にノアローが出てきたような気がするのですが・・・。

 その後、私はノアローの夢?を見るようになりました。

 午後や夕方、夜でも、居間で床の上でうたたねをすると、時々、寝入りばなにノアローと玄関で何かしている場面が出てくるのです。

 そして、必ず目を覚まします。居眠りしそうになって慌てて目を覚ます、みたいな感覚で。

 「あれ?ノアローが出てきたよね。ノアローの事を考えて寝たっけ?」とその都度、思うのですが、夢うつつとはこのことで・・・いつも判然としません。

 看病の邪魔だし、肺や気管に悪そうだからと、ノアローが長年愛用した古いソファは5月の連休中に夫が撤去してしまいました。

 ノアローが良くなったら新しいソファを買わないとね・・・なんて言っていたのですが、今もソファはありません。

 新しいソファを買ったら、ノアローの寝る場所も作ってあげようかと思っています。

 ノアローが枕にしていたクッションは一緒に火葬してしまったので、同じ時期に縫った未完成のクッションがありますので、それを完成させて置くつもりです。

 そして、お昼寝をすれば、また夢を見るのかな?と思ったりします。