ラブラドール・ノアロー -- ペットロス42010年07月15日 00時36分41秒

                               (2008年5月撮影)

 ノアローがこの世を去り、二ヶ月が過ぎました。

 最近は、前のような底知れない悲しみを感じて苦しむことは殆どなくなりました。

 後悔というのも、実は余りありません。

 亡くなった直後は、「ああすれば良かった」「こうすれば良かった」という思いが次から次へと湧き上がって来ましたが、結果オーライみたいな感じでしょうか。

 私たちのノアローは愛されて幸せな子だったね・・・、うちが余程気に入っているから何処にも行かないんだね・・・というのが今の気持ちです。

 ノアローの供養のための仏壇の水を替えたり、写真に話し掛けたり、ノアローが使っていたハニカムマットやベッド、オモチャを撫でて話し掛けたり・・・。

 物にはそれを使っていた人の思いが残るとか言いますからね・・・。

 トイレも水飲み場もそのままにしています。

 トイレの横を通るとき、

 「ノアローちゃん、チッチもウンチッチも上手だったね」と語りかけたり・・・。

 そうすることによって、ノアローに私の気持ちが通じるかなと思っています。

 そこに生きて存在している愛犬の面倒を見るのは当たり前。死んでからも大事にし続けることが供養だと夫がよく言っていますし。

 一日の内、何回かはノアローのことを思い出し、悲しくてたまらない気持ちになりますが、

 「私だけでなく、誰にでも愛犬やペットとの別れは必ず訪れるのだから・・・」と自分を納得させて涙を拭きます。
 
 それが来年だったとしても、別れの深い悲しみと喪失感を味わったことには変わらなかったでしょう。

 「こんな可愛くて美しい生き物がこの世に存在し、うちで一緒に暮らしているなんて奇跡だね!」なんてノアローを撫でて言ったこともありましたが、その通りでしたね。

 いなくなってしまえば、夢のような年月でした。

 夏のせいもあり、毎日ダルくて、イマイチやる気も出ませんが、ノアローがこの世にいないだけで、毎日の生活はノアローが生きていた時と余り変わらないような気もします。

 「ノアローちゃん、どこにいるのかな?」とか、「ノアローちゃん、オイチイからオヤツ食べてね」とか「ハンサムちゃん」とか呼びかけてみたりして・・・。

 ノアローが生きているときも、ノアローに向かって独り言みたいな言葉を話し掛けながら暮らしていましたから、違和感ないですね・・・。

 何を考えているのかわからないのは、今もあの時も変わりません。

 結局、言葉がなかった分、魂で繋がるしかない関係なのでしょう。

 だから、魂が生き続けているとするならば、今もノアローと私は繋がっているはずです。

 私の場合は、常にノアローを身近に感じて、ノアローのことを思い続けていることが幸せですね・・・。

 悲しいのは当たり前で、それプラス幸せがあるという感じです。