ラブラドール・ノアロー -- ペットロス62010年07月23日 16時20分42秒

              (2009年8月撮影)

 ノアローを亡くし、私がずっと考えている事の中に「ノアローとは私にとって何者であったのか?」という事があります。

 そして、ノアローと過ごした年月は私にとって何だったのか・・・。

 それがわからなければ前には進めないような、そういう気がしています。
 
 先日、あることがきっかけで、ドッグ・アートのお友達の一人が大事にしていたゴールデンを亡くし、それ以来3年ほど絵を描けない状態が続いているということを知りました。

 私はノアローがシニアになってから、どちらかと言えば友達の愛犬の死の知らせから逃げ回り、精神的な動揺を避けていましたから、その方がそんなに深い悲しみに見舞われていたことを見落としていたようです・・・。

 その子はノアローよりも若い年齢で亡くなったはずですから、悲嘆は大きかったのでしょう。

 彼女には他にも愛犬がいるし、その後、再び美しいゴールデンの男の子を迎えられたのですが、それでも悲しみは埋まらなかったようです。

 人の心とはそういうものなのでしょう。

 とても心の優しい人ですから受けた傷も大きいのでしょうが、その優しさ故、いつか又、愛犬を亡くした友達のために絵筆を持ってくれるはずです・・・。

 そして、今日、別のラブラドールのオーナーの話をメーリングリストで目にしました。

 その方は私の友達の一人で、その方の大事にしていた黒ラブのことを私は覚えています。

 イタズラな男の子で、サンタ帽を口にくわえ、トナカイの頭飾りをつけて得意げにこちらを見ている写真は今も鮮明に覚えています。

 その顔が気に入ったので、絵を描いて彼女にプレゼントしました。

 ノアローによく似た一点の曇りもない可愛い表情でした。

 可哀想なことに、この子は最後は口の中のガンになって亡くなりました。

 その後、彼女はラブラドールのショーやブリーディングの世界に関わって来られたようですが、新たにラブラドールを迎えてはいません。

 「あの子は本当に可愛い、誰にでも愛されるラブラドールだったよね」

 と誰かが言い、

 「Mちゃんがいた時、彼女は輝いていたよね・・・」

 と誰かが言いました。

 胸がチクリと痛むような言葉でした。

 確かに、Mちゃんを失ってから暫くして、彼女の体調は急激に悪化して、ここ数年は入退院を繰り返していると聞いています・・・。

 愛犬の存在を「癒し」だと言う人がよくありますが、私は少し違います。

 自分の痛んだ部分、へこんだ部分を癒すものではなく、自分の人生そのものを輝かせ持ち上げてくれる存在・・・だと思っています。

 遥か昔、小学生か中学生くらいの時に読んだ、チャールズ・シュルツ氏のピーナッツシリーズのマンガで、ペパーミント・パティだったかが、木の根元に寝ぞべりながらチャーリー・ブラウンに言う台詞があるんです。

 確か、「人生はブレスレットのようなものよね」だったと思います。

 宝石が埋め込まれた輝く場所があって、あとは平坦な輪であると・・・。そういう話だったと思います。

 その宝石の部分が、愛犬と過ごした年月なのではないでしょうか?

 人生の中で輝ける場所は一カ所か二カ所か・・・、沢山はないでしょう。

 それでも十数年、場合によってはもっと長い年月を輝き続けることが出来るのであれば、上出来の人生と言えるのではないでしょうか?