ラブラドール・ノアロー -- ノアローからの返事 ― 2010年07月09日 23時06分08秒
(2004年2月撮影)
ネットでペットロス関連のサイトを見ていて、アニマル・コミュニケーターという存在を知りました。
中には死んだペットの気持ちを伝えるというお話もありました。
私が経験した事も、それに似たものなのかもしれません。
とても不思議な出来事でした。
5月15日はノアローの火葬の日だったのですが、看病していた頃の癖か、朝早く目が覚めました。
外が明るくなっていましたから、6時前後だったと思います。
棺に寝かせたノアローと、私と夫が狭い居間で雑魚寝状態で、朝方はとても寒かったです。
前の日、夫が一生懸命ノアローの旅立ちの道具を用意していて、「ノアロー、必ず帰って来るんだよ」とか言って住所を書いたカードを棺の中に入れたりしていました。
「ノアローが道に迷わず帰って来られるように」と、そればかり言っている夫を見て、可哀想で胸が潰れそうなくらい悲しかったです。
私は起きて、ノアローの棺の横に膝を折って座りました。
そして、眠っているようにしか見えないノアローの亡骸を見つめました。
毛艶もよく、手足もいつも通り太くて丈夫そうなあんよで、耳の辺りを撫でるとしっとりと柔らかい、いつも通りの感触でした。
私は夫が言っていた事には甚だ懐疑的だったのですが、何となく聞いてみたくなったのかもしれません。
私は涙を拭きながら、ノアローに話し掛けました。
「ノアローちゃん、魂になって帰って来るんだよね」と。
すると、即座に返事がありました。
「うんっ!」と。
私はギョッとして、思わず振り返りました。
その声は寝ているはずの夫のものだったからです。
(え?寝ていたんじゃなかったの?)と思って、夫を凝視しました。
夫はうんともすんとも言わず、寝息さえ聞こえないくらい深く眠っているようでした。
辺りはシーンと静まり返り、しばらくの間、私は夫を起こして確認すべきかどうか迷いました。
前の日から「ノアローは魂になって帰ってくる」と夫が繰り返し喋っていたので、無意識のうちに私の問い掛けに反応してしまったのでは?
そんな風にも思いました。
でも、この不思議な出来事が、それによって壊れてしまっては嫌だと思い、そのままにすることにしました。
その時、私は目を閉じているノアローに向かって、「何?今の?」と心の中で語りかけていたかもしれません。
それから、その出来事はしばらくの間忘れていました。
その話を私が夫にしたのは、もっと後の事です。
私たちはノアローをペット斎場まで運び、火葬に立ち会い、一端家に帰るために車に乗り込みました。
そして家に帰って、火葬が終わるまでの間休むことにしました。
家に帰ると、夫の表情が明るく、変だなと思っていると不思議な事を言い出しました。
「お棺を下ろす前、駐車場で運転席と助手席の間にバインダーを置こうとしたら、そこにノアローがいたよ」と。
その場所は、いつもノアローがドライブしている時に寝そべっていた場所でした。
ノアローの鼻先から背中の辺りまで見えたそうです。
私は「え?」と思いましたが、確かに夫がバインダーを置こうとした時の動き方は変でした・・・。
そこで、私は今朝起きた出来事を夫に話したのです。
夫は全然覚えていないし、夢も見ていなかったそうです。
夫の考えでは、ノアローは夫の体を使って返事をしたに違いないという事でした。
イタコの口寄せ・・・ということが頭に浮かびました。
そうまでして、ノアローが私に「僕は帰って来るからね!」と伝えたかったとすれば、なんていじらしい魂を持った子でしょうか。
ノアローはご長寿というほどの生命力は持っていなかったようですが、別の強い力を持っていたのかもしれません。
「ノアローちゃん、ずっとイッチョでね!」
私は毎日、機会があれば見えないノアローに向かってそう語りかけています。
しかし、不思議なことはあるものです。
私は今回初めてですが、夫は昔から色々あるそうです。
ネットでペットロス関連のサイトを見ていて、アニマル・コミュニケーターという存在を知りました。
中には死んだペットの気持ちを伝えるというお話もありました。
私が経験した事も、それに似たものなのかもしれません。
とても不思議な出来事でした。
5月15日はノアローの火葬の日だったのですが、看病していた頃の癖か、朝早く目が覚めました。
外が明るくなっていましたから、6時前後だったと思います。
棺に寝かせたノアローと、私と夫が狭い居間で雑魚寝状態で、朝方はとても寒かったです。
前の日、夫が一生懸命ノアローの旅立ちの道具を用意していて、「ノアロー、必ず帰って来るんだよ」とか言って住所を書いたカードを棺の中に入れたりしていました。
「ノアローが道に迷わず帰って来られるように」と、そればかり言っている夫を見て、可哀想で胸が潰れそうなくらい悲しかったです。
私は起きて、ノアローの棺の横に膝を折って座りました。
そして、眠っているようにしか見えないノアローの亡骸を見つめました。
毛艶もよく、手足もいつも通り太くて丈夫そうなあんよで、耳の辺りを撫でるとしっとりと柔らかい、いつも通りの感触でした。
私は夫が言っていた事には甚だ懐疑的だったのですが、何となく聞いてみたくなったのかもしれません。
私は涙を拭きながら、ノアローに話し掛けました。
「ノアローちゃん、魂になって帰って来るんだよね」と。
すると、即座に返事がありました。
「うんっ!」と。
私はギョッとして、思わず振り返りました。
その声は寝ているはずの夫のものだったからです。
(え?寝ていたんじゃなかったの?)と思って、夫を凝視しました。
夫はうんともすんとも言わず、寝息さえ聞こえないくらい深く眠っているようでした。
辺りはシーンと静まり返り、しばらくの間、私は夫を起こして確認すべきかどうか迷いました。
前の日から「ノアローは魂になって帰ってくる」と夫が繰り返し喋っていたので、無意識のうちに私の問い掛けに反応してしまったのでは?
そんな風にも思いました。
でも、この不思議な出来事が、それによって壊れてしまっては嫌だと思い、そのままにすることにしました。
その時、私は目を閉じているノアローに向かって、「何?今の?」と心の中で語りかけていたかもしれません。
それから、その出来事はしばらくの間忘れていました。
その話を私が夫にしたのは、もっと後の事です。
私たちはノアローをペット斎場まで運び、火葬に立ち会い、一端家に帰るために車に乗り込みました。
そして家に帰って、火葬が終わるまでの間休むことにしました。
家に帰ると、夫の表情が明るく、変だなと思っていると不思議な事を言い出しました。
「お棺を下ろす前、駐車場で運転席と助手席の間にバインダーを置こうとしたら、そこにノアローがいたよ」と。
その場所は、いつもノアローがドライブしている時に寝そべっていた場所でした。
ノアローの鼻先から背中の辺りまで見えたそうです。
私は「え?」と思いましたが、確かに夫がバインダーを置こうとした時の動き方は変でした・・・。
そこで、私は今朝起きた出来事を夫に話したのです。
夫は全然覚えていないし、夢も見ていなかったそうです。
夫の考えでは、ノアローは夫の体を使って返事をしたに違いないという事でした。
イタコの口寄せ・・・ということが頭に浮かびました。
そうまでして、ノアローが私に「僕は帰って来るからね!」と伝えたかったとすれば、なんていじらしい魂を持った子でしょうか。
ノアローはご長寿というほどの生命力は持っていなかったようですが、別の強い力を持っていたのかもしれません。
「ノアローちゃん、ずっとイッチョでね!」
私は毎日、機会があれば見えないノアローに向かってそう語りかけています。
しかし、不思議なことはあるものです。
私は今回初めてですが、夫は昔から色々あるそうです。
ラブラドール・ノアロー -- ペットロス3 ― 2010年07月10日 01時13分36秒
ノアローを失ってから、ずっと悲しいので、暇があれば愛犬を失った人のブログやペットロスのサイトをネットサーフィンしています。
ネットで書かれているペットロスの解決方法は「新しくペットを迎える」が殆どです。
私の周りでも、子供の頃から犬や猫がいる暮らしをしてきている人たちは、当たり前のように次の子を迎えます。
ブログでも、悲しみの後、新しくペットや愛犬を迎えてハッピーな暮らしが続いていく・・・というパターンが多いです。
割とすぐに新たにペットを迎えられる人が少なくなく、どちらかと言えば「ペットを亡くして寂しくて仕方がないけど、新たな子を迎えるのは心苦しい」という人を対象に心の持ち方をアドバイスする話が多いように感じます。
新たなペットと新しい生活をすることが前向きで、いつまでも死んだペットを想い続けて生活することは後ろ向きだと世間では捉えている人が多いのかも知れません。
いつまでも悲しんでいないで、とか、いつまでも悲しんでいるとペットが成仏できないよとか。
中には二ヶ月とか期間を区切っているものも・・・。
ペットや愛犬を失い、悲しいけれども未だに新たにペットを迎えることもなく生きている人の暮らしぶり・・・・・・というのはなかなか見つけられません。
そういう人たちの心の持ちよう、などが一番関心があることなのですが・・・。
今はペットとは関係ない世界で生きられているからなのでしょうか?
ペットと共に社会と関わりをもっていた人たちの場合、ペットがいなくなれば、それまでのお付き合いもなくなる事もあるかもしれませんね。
私もラブラドールの絵を描いていなければ、ノアローを通じて出会った人たちとの共通の話題が持てなくなり、折角築き上げてきた大事な世界で生きられなくなったかもしれません・・・。
ノアローが私に残してくれた大切な贈り物ですね。
いつもいつも楽しかったり、気が晴れるわけでもないですが、絵は描き続けています・・・。
写真のぬいぐるみは、もう大分前に通販で買ったものです。
これの他にも貰った物も含めて幾つかあります。
ナデナデしていると心が和む事があります。顔もノアローに似ているし。(笑)結構、優れものです。
ネットで書かれているペットロスの解決方法は「新しくペットを迎える」が殆どです。
私の周りでも、子供の頃から犬や猫がいる暮らしをしてきている人たちは、当たり前のように次の子を迎えます。
ブログでも、悲しみの後、新しくペットや愛犬を迎えてハッピーな暮らしが続いていく・・・というパターンが多いです。
割とすぐに新たにペットを迎えられる人が少なくなく、どちらかと言えば「ペットを亡くして寂しくて仕方がないけど、新たな子を迎えるのは心苦しい」という人を対象に心の持ち方をアドバイスする話が多いように感じます。
新たなペットと新しい生活をすることが前向きで、いつまでも死んだペットを想い続けて生活することは後ろ向きだと世間では捉えている人が多いのかも知れません。
いつまでも悲しんでいないで、とか、いつまでも悲しんでいるとペットが成仏できないよとか。
中には二ヶ月とか期間を区切っているものも・・・。
ペットや愛犬を失い、悲しいけれども未だに新たにペットを迎えることもなく生きている人の暮らしぶり・・・・・・というのはなかなか見つけられません。
そういう人たちの心の持ちよう、などが一番関心があることなのですが・・・。
今はペットとは関係ない世界で生きられているからなのでしょうか?
ペットと共に社会と関わりをもっていた人たちの場合、ペットがいなくなれば、それまでのお付き合いもなくなる事もあるかもしれませんね。
私もラブラドールの絵を描いていなければ、ノアローを通じて出会った人たちとの共通の話題が持てなくなり、折角築き上げてきた大事な世界で生きられなくなったかもしれません・・・。
ノアローが私に残してくれた大切な贈り物ですね。
いつもいつも楽しかったり、気が晴れるわけでもないですが、絵は描き続けています・・・。
写真のぬいぐるみは、もう大分前に通販で買ったものです。
これの他にも貰った物も含めて幾つかあります。
ナデナデしていると心が和む事があります。顔もノアローに似ているし。(笑)結構、優れものです。
ラブラドール・ノアロー -- ラブラドールの絵 ― 2010年07月10日 14時03分18秒
ラブラドール・ノアロー -- ノアローちゃんの新盆 ― 2010年07月14日 02時01分10秒
13日はお盆の迎え火を焚いて、先祖の霊をお迎えしました。
ノアローの位牌も一緒にお盆の精霊棚に並べさせて貰いました。
お迎えすると言っても、ノアローの霊は家にいるとしか思えず、変な感じです・・・。
夕べは寝るときに、右側にノアローがいるような重苦しい気配を感じましたが、金縛りにでもなったら怖いので「いや、そんなことはない」と打ち消して、他の事を考えて寝に入りました。
朝、目が覚めてみると、私は布団の端に追いやられて?薄ら寒かったです・・・。
お布団全体を見ると、私が一人で斜めになって足が布団から出ているだけで、掛け布団には一切の乱れは見えませんでした。
私は感激して夫に声を掛けました。
「見て、見て、私、端っこに寝ているよ!!」と。
ノアローが死んでから、お布団でノアローと一緒に寝ることがなくなり、もう二度とあのような布団の端に追いやられた格好で目覚めることはないだろうと思っていたからです。
私は寝ながら移動しないので、いつもは真ん中で寝て真ん中で目覚めるという生活です・・・。
やっぱり、ノアローは右側にいたのかもしれない・・・。
新盆だからでしょうか?
これ以外でも、「あれ?ノアローがやったの?」と思わせる現象がありました。
私たちが出掛けている時にやらかしているのかもしれません・・・。
ノアローは不思議な子です。
ノアローは生前から私の気持ちを知っていて、それに反応しているのかな?と思うこともあります。
「ママー、大丈夫だよ。ほら、出来たでしょ?」と見せてくれているのだとしたら・・・・・・・・・。
幽霊屋敷みたいで怪しいですが、大好きなノアローちゃんにはいつまでも存在を示して欲しいです。
ラブラドール・ノアロー -- ペットロス4 ― 2010年07月15日 00時36分41秒
(2008年5月撮影)
ノアローがこの世を去り、二ヶ月が過ぎました。
最近は、前のような底知れない悲しみを感じて苦しむことは殆どなくなりました。
後悔というのも、実は余りありません。
亡くなった直後は、「ああすれば良かった」「こうすれば良かった」という思いが次から次へと湧き上がって来ましたが、結果オーライみたいな感じでしょうか。
私たちのノアローは愛されて幸せな子だったね・・・、うちが余程気に入っているから何処にも行かないんだね・・・というのが今の気持ちです。
ノアローの供養のための仏壇の水を替えたり、写真に話し掛けたり、ノアローが使っていたハニカムマットやベッド、オモチャを撫でて話し掛けたり・・・。
物にはそれを使っていた人の思いが残るとか言いますからね・・・。
トイレも水飲み場もそのままにしています。
トイレの横を通るとき、
「ノアローちゃん、チッチもウンチッチも上手だったね」と語りかけたり・・・。
そうすることによって、ノアローに私の気持ちが通じるかなと思っています。
そこに生きて存在している愛犬の面倒を見るのは当たり前。死んでからも大事にし続けることが供養だと夫がよく言っていますし。
一日の内、何回かはノアローのことを思い出し、悲しくてたまらない気持ちになりますが、
「私だけでなく、誰にでも愛犬やペットとの別れは必ず訪れるのだから・・・」と自分を納得させて涙を拭きます。
それが来年だったとしても、別れの深い悲しみと喪失感を味わったことには変わらなかったでしょう。
「こんな可愛くて美しい生き物がこの世に存在し、うちで一緒に暮らしているなんて奇跡だね!」なんてノアローを撫でて言ったこともありましたが、その通りでしたね。
いなくなってしまえば、夢のような年月でした。
夏のせいもあり、毎日ダルくて、イマイチやる気も出ませんが、ノアローがこの世にいないだけで、毎日の生活はノアローが生きていた時と余り変わらないような気もします。
「ノアローちゃん、どこにいるのかな?」とか、「ノアローちゃん、オイチイからオヤツ食べてね」とか「ハンサムちゃん」とか呼びかけてみたりして・・・。
ノアローが生きているときも、ノアローに向かって独り言みたいな言葉を話し掛けながら暮らしていましたから、違和感ないですね・・・。
何を考えているのかわからないのは、今もあの時も変わりません。
結局、言葉がなかった分、魂で繋がるしかない関係なのでしょう。
だから、魂が生き続けているとするならば、今もノアローと私は繋がっているはずです。
ノアローがこの世を去り、二ヶ月が過ぎました。
最近は、前のような底知れない悲しみを感じて苦しむことは殆どなくなりました。
後悔というのも、実は余りありません。
亡くなった直後は、「ああすれば良かった」「こうすれば良かった」という思いが次から次へと湧き上がって来ましたが、結果オーライみたいな感じでしょうか。
私たちのノアローは愛されて幸せな子だったね・・・、うちが余程気に入っているから何処にも行かないんだね・・・というのが今の気持ちです。
ノアローの供養のための仏壇の水を替えたり、写真に話し掛けたり、ノアローが使っていたハニカムマットやベッド、オモチャを撫でて話し掛けたり・・・。
物にはそれを使っていた人の思いが残るとか言いますからね・・・。
トイレも水飲み場もそのままにしています。
トイレの横を通るとき、
「ノアローちゃん、チッチもウンチッチも上手だったね」と語りかけたり・・・。
そうすることによって、ノアローに私の気持ちが通じるかなと思っています。
そこに生きて存在している愛犬の面倒を見るのは当たり前。死んでからも大事にし続けることが供養だと夫がよく言っていますし。
一日の内、何回かはノアローのことを思い出し、悲しくてたまらない気持ちになりますが、
「私だけでなく、誰にでも愛犬やペットとの別れは必ず訪れるのだから・・・」と自分を納得させて涙を拭きます。
それが来年だったとしても、別れの深い悲しみと喪失感を味わったことには変わらなかったでしょう。
「こんな可愛くて美しい生き物がこの世に存在し、うちで一緒に暮らしているなんて奇跡だね!」なんてノアローを撫でて言ったこともありましたが、その通りでしたね。
いなくなってしまえば、夢のような年月でした。
夏のせいもあり、毎日ダルくて、イマイチやる気も出ませんが、ノアローがこの世にいないだけで、毎日の生活はノアローが生きていた時と余り変わらないような気もします。
「ノアローちゃん、どこにいるのかな?」とか、「ノアローちゃん、オイチイからオヤツ食べてね」とか「ハンサムちゃん」とか呼びかけてみたりして・・・。
ノアローが生きているときも、ノアローに向かって独り言みたいな言葉を話し掛けながら暮らしていましたから、違和感ないですね・・・。
何を考えているのかわからないのは、今もあの時も変わりません。
結局、言葉がなかった分、魂で繋がるしかない関係なのでしょう。
だから、魂が生き続けているとするならば、今もノアローと私は繋がっているはずです。
私の場合は、常にノアローを身近に感じて、ノアローのことを思い続けていることが幸せですね・・・。
悲しいのは当たり前で、それプラス幸せがあるという感じです。
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